5月27日に川崎チネチッタにて映画【BLAME!】を観賞してきました。
以下、内容にも踏み込んだ感想。
映画【BLAME!】のここが見所
原作漫画とは演出が異なります
自分はかなり楽しめたのですが、原作ファンからすると否定的な意見も少なからずあるみたいですね。
でもこれは視点が霧亥ではなく、彼が通り過ぎた村の少女『づる』のモノであるから当たり前なんですよね。無限に続くかのような広大な空間の中に放り込まれたと原作のイメージとは異なり、限定的な空間で生きる『ずる』が初めて触れる外の世界の人間=霧亥から自分の知らない世界の闇(外の世界)を感じた結果で。
映像表現
否定的な意見がある方でも、これは素直に感動できる(ハズ)。そもそも原作執筆時の弐瓶勉氏は、まだ【BLAME!】の世界を表現しきれるほどの画力がありませんでした。
無料で読める新装版の表紙と本文の絵の違いにびっくりするやらガッカリするやらしても不思議じゃないですよね。
キャラクター造型やガジェット、世界の映像表現、デザインの違いは作者が現時点で表現できるレベルまで解像度を上げた結果です。
逆に言うと世界の全貌をとらえきれていない霧亥の視点で考えると空気感に違和感が出るかもしれないけど、結界に守られた限定されたずるの視点で見るのなら解像度が上がったことは普通の演出なのかもしれませんね。
音響
川崎チネチッタの一番大きなスクリーンだったので、東亜重音7.1ch LIVE ZOUNDで観たのですが、迫りくるセーフガードの位置関係や落下するバッテリーなどの位置関係が音だけで読み取れて心地よいです。
あと、足音のSEがイイ。二瓶氏はマンガ執筆中、コマからこの音が鳴っていたんだろうなぁ、と思うとなんかカワイイ(笑)
ストーリーで気になった点〜わりとよくある話
……好印象な話はありましたが、否定的とまではいかないまでも気になった部分。
主人公が“通り過ぎた、とある村”のエピソードの話なので、似たような話は何度も見てきました(マッドマックス〜怒りのデスロードとかね)。
特に今作品は通常より長い命を持った主人公のワンシーンという形式上、劇場版吸血鬼ハンターDを思い出しました。
Dのラストシーン、劇中のエピソードで親交を持ったキャラクターが亡くなり葬式のシーン。亡くなったキャラクターの孫娘は葬式を遠くから見つめるDに気付き「おばあちゃんから聞いたことがある!立ち寄ってよ」と話しかけるも、昔の約束(死ぬときには花を手向ける)のために足を運んだが、多くの人に見送られている光景を見て自分が来る必要はなかったと孫娘に伝えて去っていくのです。
階層世界を登っていくという形式上、同じ場所を訪れることのないBLAME!の世界で、Dのような【その後の関わり】はありえませんが、代わりに別れの際に霧亥から受け取ったアイテムが世代を超えて受け継がれるというシーンで物語の深みが増すように対抗しています(いや、バンパイアハンターDと張り合っているわけではありませんが)。
でもやっぱり直接【思い出の人】と会うのと【思い出のアイテム】ではドラマチックさに差がありますよね。
直接会えない状況なのだから、孫娘が物語を〆るべくわざとらしく【思い出す】なんて行動は取らずに、特にイベントが有るわけでもなく村の端々に霧亥との【短い間だったけど濃密な出来事】を感じさせる風景を見せて表現して欲しかったですね。
いや、重箱の隅をつつくような小さな引っかかりなんですけど。
総評
小難しいSFとか考えず、短編として完成している良作です。上映館が少なく期間も短いので劇場に足を運ぶのは困難ですがNETFLIXでも見られるので、ぜひ御覧ください。
……実はネットフリックスで見直して、作品冒頭のシーンは霧亥との別れの後のシーンということに気付いた(笑)
ポリゴンキャラで個性が薄いうえにづると子孫のキャラのデザインの差異が少なかったことが原因ですけど、自宅で見直すと『なんで気づかなかったんだろう?』と疑問を覚えるレベルですね(笑)